2024年12月26日

討ち入り後の赤穂浪士の足跡を訪ねて

赤穂浪士

討ち入りの足跡を辿る

築地本願寺前回に引き続き年末らしい風景ということで、討ち入り後の赤穂浪士の足跡を訪ねました。
スカイツリーを見ながらの清洲橋での小休止から10分ほどで永代橋近くに到着。

ここに1つの石碑があります。
赤穂浪士休息の地の石碑。
ここは赤穂浪士の一人と個人的につながりがあった方の味噌屋があった場所。
味噌屋の名前は「ちくま味噌」さん。

赤穂浪士休息の地の碑

引き上げの途中で店に招き入れ甘酒粥をふるまったという歴史のあるところです。
今でも味噌屋が石碑の向かい側にあるということで、ANA・JAL株主優待券を購入される皆様にご紹介できるような甘酒でもないかと探してみましたが、お店というより事務所のような感じで甘酒を提供されているような雰囲気はありませんでした。
茶店とまではいかないまでも甘酒をいただけるようなあんみつ屋か喫茶店でもあればうれしいところですが、残念ながら実に事務的なドライな雰囲気の場所です。

休憩を断った回向院は評価を下げ、お店に招き入れたちくま味噌は好感度が急上昇したとのことです。
甘酒というと今では飲む点滴と言われるほど疲れた体に適したもの。
まさしく討ち入り後の体力回復と泉岳寺までの道のりのエネルギーになったのではないでしょうか?

そこからしばらくは特に忠臣蔵関係の遺構が無い道をしばらく歩きます。

赤穂浪士

浅野長直の江戸上屋敷があった地

今はぽつんと石碑が立つ浅野内匠頭宅を通りしばらく行くと有名な築地本願寺。
こちらには四十七士の一人である間新六のお墓があります。
泉岳寺にもお墓がありますが、なぜ築地本願寺に一人だけお墓があるのは諸説あってよくわかっていないようです。

間新六供養塔の説明版

築地本願寺を過ぎると築地場外市場をかすめるように進みます。
以前の築地であればANA・JAL株主優待券を購入の皆様にお勧めできる格安グルメいくつかあったのですが、今は町の様相が一変しています。

泉岳寺への道

赤穂浪士9

築地を過ぎると格安ANA・JAL株主優待券を販売する金券ショップが林立する新橋方面に向かいます。
新橋の少し手前にあるのが東北の仙台藩上屋敷の跡。
こちらも赤穂浪士と関係があり、引き上げ途中の一行に粥をふるまったとの言い伝えが残っています。

いつもならANA・JAL株主優待券販売の関係で立ち寄る新橋の金券ショップを横に見て先を目指します。
ここからは見慣れている風景でもあり歩き疲れもあって、同じ距離でもかなり長く感じるようになりました。
特に立ち止まるようなところもなくひたすら歩くのみ。

ゆっくり眺めることがない増上寺や東京タワーを見ながら、かなり疲れた思い足で進みますが正直一番退屈な道中です。
三田という地名から高輪に変わるとゴールは間近!
やはり先が見えると元気が出てくるもので足取りも再び軽くなるようです。

赤穂浪士11

泉岳寺の入り口

地下鉄泉岳寺駅を右に折れると目の前には目的地の泉岳寺。
この日は討ち入りの日より少し前ですが、これまで吉良邸から巡ってきたどの場所よりも賑わっています。
特に四十七士の墓前には行列まで。
ざっと30人くらいは並んでいたでしょうか?
でも実際は大半は東京巡りの団体さん。
それを除くと5~6人くらいではなかったでしょうか。

線香を束でいただきみなさん一基づつに献じていきます。
やはり講談に名前が登場するような有名人の前では、少し時間をとってお参りする方が多いようです。

赤穂浪士の軌跡

泉岳寺ここまでかかった時間は約4時間。
そこで実際はどれくらいの時間で移動したのか少し気になって調べてみました。

本所松坂町を出発したのが午前6時で泉岳寺到着が午前8時。
13キロの道のりをなんと2時間ほどで歩いたとのことです。
時計があったわけではなく今ほど正確な時刻ではなかったということにしても、驚くべきスピードです。
しかも今回と前回のブログに書いたように、3回ほど休息があり甘酒粥や粥のふるまいを受けてのことです。
さらに前日は雪が降っていたので、雪道もしくはぬかるんだ道の行軍ですから・・・
防具や武器の重量も相当なもので、10キログラムを超えていたと書いてあるものもありました。

驚くのはそれだけではありません。
一行の最長老は77歳!
数え年としても当時の平均寿命をはるかに超えいてるわけです。
そんな猛者たちの集団だったからこそ、令和の時代でも年中行事として生き残っているのかもしれませんね。

« 師走らしい風景を訪ねて |